2017/11/2
本校創立以来、既に卒業生は3万4千人を越え、社会の第一線、様々な分野、日本のみならず世界で活躍しています。
本校は1941年(昭和16年)、日米開戦という戦意高揚の難しい時代の中に、教師と教え子、つまり師弟の協力の下に築かれた学校であります。
1943年(昭和18年)、現在のこの上板橋の地に校舎が完成しました。
戦後は食料難をはじめ物資の不足が続き、激動の時代を歩むことになります。
16室あった普通教室は、爆風で屋根瓦と窓ガラスはほとんど吹き飛んでいました。
生徒用の机も十分になく、床に座ったまま授業を受けたそうです。
グランドは整備されておらず、体育館もなく、多くのクラブが他校に出向いて練習をするという状態であったそうです。
この激動の時代、多くの学校が廃校の悲運に会いました。
1946年(昭和21年)、城北学園の校歌が作られました。
校歌を作曲したのは音楽科の市村(旧姓梨本)丈一先生。
本校創立50周年記念誌において、校歌作曲のエピソードを述べています。
「城北学園の校歌は僕の青春時代の作品です。昭和20年、東京とは名ばかりの焼け野原であった。無残というか、池袋から板橋まで素通しという光景は諸君たちには想像もつかないだろうが、全く言葉にならない残酷な風景であった。こんな状況の中で、呆然自失してしまった大部分の日本人は、また、これまで聞いたこともない民主主義という世界へ歩み出すことになる。そんな中、当時の2代目近藤薫明校長から『是非若い人の作品がほしい。どうだろう、君、やってみてはくれないだろうか』と言われ、万葉集の研究で知られる国文学者武田祐吉博士の作詞原稿を前にして、『小生ごとき若輩では不釣り合い』ととても悩んだ。」
先生は果敢に斬新的なメロディー作りに挑戦し、いくつかの候補から「思いきった冒険をしてみようと思い、技法などにとらわれない、自由で奔放と言うべきもの」が、本校の校歌として選ばれました。
これからも、城北の自由で伸びやかな校風と良き伝統を我々教職員と君たちとで守り、受け継いでいかなければなりません。
「自立の学園」「努力の学園」「正義の学園」。
皆さんとともに、これからも大切に校歌を歌い続けていきたいと思います。
城北学園が、80年100年と進化発展して行くために、私たち教職員と生徒の皆さんとで、力を合わせてしていきましょう。
城北中学校・高等学校校長
小俣 力