城北ブログ

歴史部の夏合宿!②

 2日目は、江田島兵学校と広島城の見学を行いました。江田島兵学校は戦前にイギリスのダートマス、アメリカのアナポリスと並び世界三大兵学校として謳われた海軍の兵学校で、非常に高い教育水準を誇っていました。現在では海上自衛隊の第一術科学校と防衛大学校出身の人間などが入学する幹部候補生学校となっています。そのため非常に厳かな場所であり、軽装での見学などは許されません。8時にホテルで朝食を済ませ、9時にホテルを出発し、まずは江田島に向かう高速船の出る宇品港に向かいました。やや時間に余裕を持って高速船に乗り込み、瀬戸内海を渡って江田島に到着しました。瀬戸内海は言うまでもなく内海であるため波が穏やかで、船酔いになった人間も少なかったようです。

 

 江田島兵学校は自由に見学するのではなくツアー制で、ガイドの方を先頭に一般の方と一緒にツアーに参加すると言う形で見学しました。江田島兵学校の敷地内にはいくつかの建物があります。まずは大講堂です。大講堂は入学式や卒業式などの大きな催しの際に使用され、皇族の方や貴族の方が参加される際には普通の人間が入る門(通称:平民門)とは異なり、専用の門(通称:貴族門)を利用されるそうです。

 

 次に、海軍兵学校第二生徒館(通称:赤煉瓦)に向かいます。見学日は平日だったため自衛隊の学生の方が利用されており、立ち入りは出来ず近くまで寄って見学することとなりました。

 

 続いて、教育参考館に入ります。この建物には東郷平八郎の御遺髪などの海軍の様々な資料が保存されており、終戦まで4万点もの資料が保存されていた様ですが、終戦時、連合軍に占領される前に多くの資料が処分され、残った資料は神社に奉納されていたようです。現在は多くの資料が戻り、その他隊員の遺品などが加わり1万6000点の資料が保存、うち1000点ほどが展示されています。教育参考館の中は撮影禁止でしたが、日本の海軍の発展や戦争の経過などが資料と共に記載されていました。とても充実した資料館で、全く見切れないほどでしたが、時間の兼ね合いもあるので次に進みます。

 

 教育参考館を出た後には、雪風の錨がありました。雪風は日本の艦船で唯一太平洋戦争を生き延びたもので不沈艦として知られるため、受験生などがよく願掛けとして写真を撮るそうです。上級生なども写真を撮っていました。

 

その後は再びガイドの方のお話を聞きつつ移動し、見学を終えました。

 

 バスと船を乗り継いで江田島を脱し、本州に渡った後は二つに分かれてそれぞれ昼食を食べ、広島城の見学に向かいました。

 

 広島城は毛利氏によって築城された城でした。城というものは単に要塞として国の防衛に用いるものではなく、領主としての威厳を知らしめるものとしての役割もありました。また、特に広島城においては海岸に程近く、大河川も隣接していたため交通の中心地として栄えていたようです。

 

 中の展示は当時の武具や祭りなどの生活様式の展示の他、特別展示として学芸員が様々な城を紹介するという物もありました。他の展示は勿論ですが、文化史などは余り注目されることがないため、大変見応えがありました。

 

 最上階からは外に出て広島の街を望むことが出来ました。しかし、一日炎天下の中での移動が多かったために疲労感が垣間見える部員も散見されました。よく食事と睡眠をとり、明日に備えると共に、熱中症対策に改めて万全を期します。

(高2部員)